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福岡高等裁判所 昭和22年(ナ)9号 判決

原告

坂田正雄

外一名

被告

宮崎県選挙管理委員会

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

請求の趣旨

原告等代理人は「昭和二十二年四月三十日執行の宮崎県南那珂郡大束村議会議員選挙について、被告委員会が訴外淸水善作の訴願に対して同年七月十日なした「原告等両名の当選は無効とする。」との裁決は、之を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求めた。

事実

昭和二十二年四月三十日執行の宮崎県南那珂郡大束村議会議員選挙において、立候補した者は原告等両名を含め総数三十五名で、その当選人定数の二十二名中、原告堀内は九十一票(最底位次高者)、同坂田は八十九票(最底位者)で、次点者谷口与之助は八十七票であつた。ところが、落選人中の訴外淸水善作において右選挙には多数の無効投票があるとして、同年五月六日大束村選挙管理委員会に異議の申立をしたが、同月十四日却下決定を受けたので、被告委員会に訴願した。被告委員会はこれに対して同年七月十日、つぎのような理由でつぎのような裁決をし、同日その要旨を告示した。すなわち、「投票当日大束村に住所を有しないため選挙権なく、從つてこの投票が無効となる者は、杉山義雄、和田義秋、西村政矩、薮田シゲ、池辺八郞、武田富男の六名である。よつてこの無効投票の含まれた本選挙は無効である。但し、この六票の無効投票によつてその当選に異動の及ぶ当選人は、次点者の得票数八十七票に六票を加えた九十三票以下の得票数しか有しない原告等両名である。」との理由によつて、「当選人中原告等両名の当選は無効である。但し、他の当選人はこの当選を失わない。なお訴願人は再選挙を求めているが、当選人の不足数が議員定数の六分の一に逹しないから、地方自治法第六十二条により再選挙を行うことはできない。」と裁決した。

原告等は右裁決に不服があるから、法定期間内に本件出訴に及んだのであるが、右裁決は要するに前記六名が選挙当日大束村に住所を有しなかつたとして、その投票を無効とした結果であつて、これに対する不服の点は左の通りである。

(一)(1)  武田富男は大束村の選挙人名簿に登載されてもいないし、また投票してもいないので、この投票を無効投票に数えて六票の無効投票としたのは間違つている。

(2)  右六名の中武田を除いた他の五名は、いずれも選挙当日選挙人名簿登載通りの住所を大束村に存有していたのであるから、右同人等のした投票は有効である。けだし、住所の居住を他に移したという客観的事実だけで、前居住地が住所たる性質を失うものではない。まずその人の意思を探求し、且つ期間の経過をみて、住所の移転の有無を決するべきものである。このことは、地方選挙権がその土地の住民に与えられているのは、その住民にいわゆる愛郷の至情があふれているからであり、この愛郷の至情はその土地を離れただけで直ちに消滅するものではないから、その土地に対する事情をよく知つているものとして、一旦去つた土地に帰つて選挙当日投票させるのが地方選挙権の本質に適する、といえることからしても首肯できよう。

右五名中池辺八郞が選挙当日大束村に住所を有していた事実は被告の認めるところであるから、他の四名についての被告の否認の事由について陳述する。すなわち

(い)  杉山義雄は昭和二十二年五月までは大束村森林組合書記として就職しており、なるほど志布志町から通勤はしていたけれども、その住所を志布志町に転じたのではない。選挙当日同人の住所は依然大束村にあつたというべきであらう。

(ろ)  和田義秋はなるほど昭和二十二年二月中旬頃隣村の北方村安田藤衞門の婿養子となつて同家に同棲した事実はあるけれども、最近離縁して実家の大束村に復帰居住しているから、選挙の当日も大束村に住所を有したものといえよう。

(は)  薮田シゲはなるほど高柳巡査と結婚して選挙数日前都城市で夫と同棲し同市へ転出した事実はあるけれども、この事実だけで以つてその時に同人が大束村の住所を都城市へ移したものといえない。

(に)  西村政矩は昭和二十二年二月下旬頃北方村に転出したが、その後本件選挙前大束村に再転入し、投票後再び北方村に転出したのであつて、選挙当日は大束村に住所を有していたのである。

(二)  仮りに前記池辺八郞(選挙当日大束村に住所を有していた事実は被告の認めるところである。)を除いた他の五名(武田富男が被告のいう通り武田富行と同一人として)が、選挙当日大束村に住所を有していなかつたとしても、選挙人名簿調製の標準時期である九月十五日まで引き続いて六月以上大束村に住所を有していたればこそ、同村の選挙人名簿に登載されたのであつて、これにより選挙権行使の形式的要件は具備しているのであるから、右同人等のした投票は無効ではない。

(三)  仮りに選挙当日大束村に住所を有していなかつたとしても、右五名が新住所において更らに法定期間を経て選挙権を取得するまでは、新旧両住所に選挙権を有しない状態を生ずることとなり、これは、すべての国民にひとしく選挙権を附与するという法の趣旨に反するし、また本人の意思にも適合しないことであるから、右同人等が大束村でした投票は、権利者の投票として有効と解するのが相当である。

(四)  仮りに選挙当日右五名が大束村に住所を有していなかつたとしても、地方自治法施行令第二十九条によれば「選挙人は、選挙人名簿の調製期日後その投票区域外に住所を移した場合において、なお選挙権を有するときは、前住所地の投票区の投票所において、投票しなければならない。」とあり、この法規は昭和二十二年五月三日から施行さるるに至つたものではあるが、それより三日前に旧法によつて執行された本件選挙についても同樣に解釈すべきであろう。さすれば、右同人等が大束村でした投票は有効であるといわなければならない。

(五)  なお、仮りに右五名の投票が、選挙当日大束村に住所を有していなかつたことによつて無効であるとしても、この場合いずれの候補者に対する投票が、その無効投票であるかを知り得ないのであるから、各候補者の得票数の中からそれぞれ右無効投票の数だけを減じ、残余をその確実な得票数となし、該確実な得票数のみによつて当選人を決定しなければならないものである。しかして、原告等両名及び次点者谷口与之助の各得票数の中から、それぞれ右五票の無効投票を差引いて当選人を決定すれば、依然として原告等両名は当選人と決定されなければならない。

以上によつて明らかなように、被告委員会が原告等両名の当選を無効だとした前記裁決は取消をまぬかれないものである。というのであつて、立証として、甲第一号証の一乃至三を提出し、証人杉山義雄、武田富行、西村政矩、薮田シゲの各証言を援用し、乙号証の各成立を認めた。

被告代表者は主文と同旨の判決を求め、その答弁の要旨は、

原告主張の経過事実はこれを認める。以下原告のいう不服の点について順次陳述する。

(一)(1)否認する。もつとも「武田富男」という氏名が大束村の選挙人名簿に登載されていなかつたことは認めるが、「武田富行」という氏名は右名簿に登載されてあるし、また投票もしている。しかし、同人は昭和二十二年四月中旬南郷町に転出していて、選挙当日は大束村に住所を有していなかつた。「富男」というのは「富行」の誤記で、同一人である。

(2)住所の意義についての原告の見解は正当でない。住所の認定は事実問題に属し、本人の生活の根拠とみるべき客観的事実の存在、換言すれば、本人の住所意思の実現としてその他に居住する事実の存在するか否かによつて、これを決定されるべきものである。殊に公法上の効果を伴う場合にはこの客観的事実が存在すればそれで足りるのであつて必ずしも本人の住所意思はこれを必要とするものではない池部八郞が選挙当日大束村に住所を有していた事実は認めるが、他の四名が選挙当日同村に住所を有していた事実は否認する。すなわち、

(い)  杉山義雄は昭和二十一年十二月頃志布志町に転出し、ただ昭和二十二年五月まで大束村森林組合書記として、志布志町から大束村に通勤していただけのことであつたから、選挙当日大束村に住所を有していなかつた。

(ろ)  和田義秋は昭和二十二年二月中旬頃隣村の北方村安田藤衞門の婿養子となつて、爾來同家に同棲したので、選挙当日大束村に住所を有していなかつた。

(は)  薮田シゲは高柳巡査と結婚して昭和二十二年四月初頃都城市で夫と同棲し同市へ転出したので、選挙当日大束村に住所を有していなかつた。

(に)  西村政矩は昭和二十二年四月三日北方村へ転出したまま大束村に復帰しなかつたので、選挙当日大束村に住所を有していなかつた。

(二)  選挙人名簿に登載されてあつても、選挙当日当該市町村内に住所を有しない者は投票をすることができないのであつて、もし誤つて投票をすれば、その投票は当然無効なのである。このことは、地方自治法第三十七条衆議院議員選拳法第三十条によつて明白である。

(三)  原告のいうように、新旧両住所に選挙権を有しない一時的空白状態を生ずることはやむを得ないところであつて、これは、法の趣旨及び本人の意思に反するものではなく、選挙権行使の公正を確保しようとする法意と解するべきものである。

(四)  地方自治法施行令第二十九条に「選挙人がその投票区の区域外に住所を移した場合」とあるのは、「選挙人がその所属の甲投票区から同一市町村内の乙投票区に住所を移した場合」の意味であつて、右規定は、このような場合には、前投票区である甲投票区の投票所において投票しなければならないものとしているだけのことである。けだし、投票区は、投票事務の迅速簡易と選挙人の利便をはかるために、市町村の地域を分割しその分割区域毎に設けらるるものであり、選挙人名簿も一投票区毎に調製さるるものであるからである。

(五)  池辺八郞を除いた他の五名は、前記のように選挙当日大束村に住所を有していなかつたのであるから、同人等が投票した五票は無効投票であつて、この五票の無効投票によつて当選に異動の及ぶ当選人は、次点者谷口与之助の得票数八十七票に右無効投票の五票を加えた九十二票以下の得票数を有する当選人、すなわち原告等両名である。さすれば、原告等両名の当選を無効とした被告委員会の裁決は、無効投票の認定に一票の差異があるだけで、結局正当であるといわなければならない。

以上によつて明らかなように、被告委員会の前記裁決は相当であつて、原告の本訴請求は到底排斥をまぬかれない。

というのであつて、立証として、乙第一乃至第三十四号証を提出し、甲第一号証の一乃至三は不知と述べた。

理由

原告等両名が昭和十二年四月三十日執行の宮崎縣南那珂郡大束村議会議員の選挙に立候補し、原告坂田は八十九票の最低位当選人、堀口は九十一票の最低位次高当選人で(原告等を除いての最少数当選人は九十四票の訴外瀨口留於久である。)、次点者は八十七票の谷口与之助であつた事実、落選人中の淸水善作が右選拳には多数の無効投票があるとして、大束村選挙管理委員会に異議を申立てて却下されたので、被告委員会に訴願し、これに対し同委員会が昭和二十二年七月十日「投票当日大束村に住所を有しないため選挙権なく、從つてこの投票が無効となる者は、杉山義雄、和田義秋、西村政矩、薮田シゲ、池部八郞、武田富男の六名である。よつてこの無効投票の含まれた本選挙は無効である。但し、この六票の無効投票によつてその当選に異動の及ぶ当選人は、次点者の得票数八十七票に六票を加えた九十三票以下の得票数を有する原告等両名である。」との理由によつて、「当選人中原告等両名の当選は無効である。但し他の当選人はこの当選を失わない。」と裁決し、同日その要旨を告示した事実、及び右六名中池辺八郞が選挙当日大束村に住所を有し、從つてその投票は有効であるとの事実は当事者間に争がない。

以下原告のいう不服の点について順次検討する。

(一)  一定の場所が或人の生活の本拠であるかどうかの客観的事実が、その人の住所がその場所に存するかどうかを決定するのであつて、その人がその場所に住所をおく意思を有するかどうかは、住所の存否を決するについての獨立的要素をなすものではない。住所意思がなくても住所の設定を認めることができる。もつとも住所意思もまた生活の本拠を決定する標準の一つとして考慮にいれられるべきものではあるが、この場合、その住所意思を実現する客観的事実が形成されておらなければならない。原告のいう期間の経過ということは、住所の決定について問題とはならない。特に選挙等の公法関係においては、住所が顯在的形式において定まつていることの必要が私法におけるよりもはるかに大きいのであるから、住所意思はともかく客観的事実によるべきものと解するのが相当であろう。

かく解したからとて、原告のいうように地方選挙権の本質に反するものでない。なるほど地方選挙は愛郷の至情を基盤とする土着的色彩を有するものではあろうが、それだからといつて、住所について原告のいうような弾力性を認めなければならないものとはいえない。要するにそれは原告の異見に過ぎない。

原告は「前記池辺八郞を除いた他の五名中、武田富男は大束村の選挙人名簿に登載されていないし、また投票もしていない。仮りに同人が武田富行と同一人であるとしても、他の四名の杉山義雄、和田義秋、薮田シゲ西村政矩と同樣、五名とも選挙当日大束村に住所を有していた。」というが、これを認めるに足る証拠はない。もつとも甲第一号証の三(西村政矩の証明書)によれば、右西村は当時大束村から北方村の製材所に通勤していて、住所は大束村にあつたような記載があるけれども、後記証人西村政矩の証言と対照すれば、右記載は正確でないといわなければならないから、証拠として採用するに値しない。

却つて成立に争のない乙第一、二号証第十四号乃至第十七号証第二十号証第二十八乃至第三十二号証第三十四号証(選挙人名簿、及び裁決書に「武田富男(行)」とあつて、同人は大束村で投票し、その前の昭和二十二年四月八日南郷町に転出した記載がある。杉山義雄は昭和二十一年十一月一日志布志町に転出した記載がある。和田義秋は昭和二十二年二月十一日北方村の安田家に婿養子として入家転出し、その後最近実家の大束村に復帰した記載がある。薮田シゲは昭和二十二年三月八日高柳巡査と結婚して都城市に転出した記載がある。西村政矩は昭和二十二年四月一日北方村に転出した記載がある。)及び証人武田富行、杉山義雄、薮田シゲ、西村政矩の各証言(武田証言「昭和二十二年四月八日南郷町郵便局に転任を命ぜられ、同月十二日頃から同町に起居を始め、その後主食等の配給を受けて自炊生活をし、これは翌年二月まで続いた。選挙当日は大束村で投票した。」杉山証言「昭和二十一年十二月頃志布志町に移転し現在に至る。家族は右移転前から志布志町に居住していた。」薮田証言「都城市署勤務の高柳巡査と結婚し、昭和二十二年三月九日同市に転住し現在に至る。」西村証言「昭和二十二年四月初頃家族と共に北方村に移転して現在に至る。」)を綜合すれば、武田富男は武田富行と同一人であつて同人は選挙当日大束村で投票しているが、杉山、薮田、西村の四名と同樣、いずれも選挙当日大束村に住所を有していなかつた事実を認めるのに十分である。

(二)  住所の存有は選挙権享有の要件(町村制第十二条第一項本文、地方自治法第十八条第一項)であつて選挙当日そこに住所を有しなければ選挙権はないのであるから、投票をすることはできないのである。(町村制第二十二条の二第二項後段、地方自治法第三十七条衆議院議員選挙法第三十条)。從つて、その投票は無権利者の投票として無効である。

(三)  なるほど原告のいうように、新旧両住所に選挙権を有しない一時的空白状態を生じはするが、これは、選挙当日選挙人名簿に登載されている住所少くとも同一市町村内に住所(後記(四)参照)を存有することが選挙権行使の要件と規定している法規の建前上やむを得ないことであつて、一人でも多くの者に選挙権を附与することが望ましいことであるのはもとよりではあるけれども、この点を多少犠牲にしてでも、選挙権行使の公正に過誤なきを期しようとする法の精神に出たものである。

(四)  地方自治法施行令第二十九條(本件選挙当時はまだ施行になつていなかつた。)に「選挙人がその所属の甲投票區から同一市町村内の乙投票区に住所を移した場合」の意味であつて、「住所を他の市町村に移した場合」をいうのではないことは、まことに被告のいう通りである。けだし、投票区とは投票管理の單位である地域をいうのであつて、投票は全選挙区内において共通に行われるのではなく、一選挙区を学校区などに準拠して更らに若干の投票区に分ち、各投票区毎に一箇所の投票所を設け、一投票区毎に選挙人名簿が調製され、各投票区において別々に投票が行われるのであるからである。右第二十九条に「なお選挙権を有するとき」とあるのは、「法定の欠格原因が生じていないとき」との意味であつて、同條は単に当該選挙人の属する、または属した新旧いずれの投票区の投票所に投票をなすべきかの、その投票をしなければならない投票所を、選挙人名簿の存する旧投票区の投票所と定めただけのことである。

(五)  池辺八郞を除いた他の前記五名はいずれも選挙当日大束村に住所を有していなかつたのであるから、無権利者の投票として当然無効であるといわなければならない。ただこの場合、いづれの投票が無効であるかを識別できない帰属不明の無効投票であるから、可能性を標準として、各当選人の得票数の中からそれぞれ右五票の無効投票を差引き、その結果を次点者の得票数と対比し、それより票数の少くなつた当選人の当選を無効とするの外はないのである。右五票の無効投票を原告等両名の各得票数の中から差引けば、次点者谷口与之助の得票数八十七票より少数となることは算数上明白であるから、原告等両名の当選は無効であるといわなければならない。

原告は「各候補者の得票数の中からそれぞれ右無効投票の数だけを減じ、殘余をその確実な得票数となし、該確実な得票数のみによつて當選人を決定しなければならない。」というけれども各候補者の得票数の中からそれぞれ無効投票の数を減ずるとすれば、その結果における次点者と各当選人との票差は、無効投票の数を減じない前と全く同数であるから、無効投票の数だけを各候補者の得票数の中から減ずるという操作は、いわゆるナンセンスであるというの外はない。原告の所説は何かの思い違いででもあろうか。

ただここで附記しておかなければならないことは、町村制第三十二条本文及び但書(但書は「但し当選に異動を生ずるのおそれなき者を区分し得るときはその者に限り当選を失うことなし。」というのである。)によれば、選挙権のない者がしたため無効な投票は、その帰属が不明であるが、仮りにこれを各当選人の有効投票から控除した結果、選挙の結果に異動を生ずるおそれのある場合においては、その選挙を無効とし、当選に異動を生ずるおそれのある者とおそれのない者とを区分することができるときは、当選に異動を生ずるおそれのない者に限り当選を失わないものとなすべきである(本件裁決はこれにならつている。)が、本件裁決当時の準拠法は地方自治法であり、その第六十七条によれば、町村制第三十二条本文と大体同趣旨であるのに但書の規定が削除になつているから、もし選挙権のない者の投票があつたため選挙の結果に異動を生ずるおそれのある場合に、右第六十七条の規定が適用さるものとすれば、選挙の全部か一部を全面的に無効となすべきであつて、人を区分して当選の効力を異にすることは許されないはずである。思うに地方自治法第六十七條に町村制第三十二条(道府県制、市制各第三十五条)のような但書の規定を設けなかつたのは、右設例のような事案の場合に、選挙の全部もしくは一部を全面的に無効となすべきものとしたがためではなくて、投票自体に瑕疵があつて無効投票の帰属が分明である場合すなわち顯在的無効投票の場合と同樣、無権利者の無効投票のためその帰属が不明であるいわゆる潜在的無効投票の場合も、純然たる当選の効力に関する問題として処置となすべきものとしたがためであろう。

さすれば、本件裁決当時において町村制は死法と化していたのではあるが、原告等両名の当選を無効とし、当選の効力に関する問題としての處置と同一結論に帰着した被告委員会の裁決は、結局正当であるといわなければならない。

以上説示のように、被告委員会が原告等両名の当選を無効とした裁決は相当であつて、これに不服があるとして出訴した原告等の本訴請求は失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条を適用して、主文のように判決する。

(小野 桑原 森田)

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